最近、教員が、教え子より息子の入学式を優先したことについて議論になっているようです。教員はプロなんですから、教え子の重大行事を優先せねばなりません。
苦汁を飲む判断を強いられる場合、たいてい逆側に利益を得ている人がいる
基本的に昔からの日本人の精神というのは間違っていることが多くて、人に何かを押し付けるというのは、押し付けて利益を得ている人がいるという前提になっていることがわかってません。
仕事でもそうで、みんなが嫌がる仕事を、時間外手当もなしで、自己犠牲の精神で無休で頑張る。
他の人からは、ありがとうと感謝されるかもしれませんが、それはいいように使われているだけです。
給料を渡さず人一倍働いてくれる奴隷は誰でも欲しいですからね。
ブラック企業は無条件で、奴隷を獲得しているところはいい所かもしれません。
人から認められたいという欲求を満たす為だけの自己犠牲ほど醜いものはない
結局は、自己犠牲の精神は、自分の精神的な満足、人から認められたいという欲を満たす為なので、お金持ちがお金を稼ぐのと同じぐらい愚かなことだと思います。
さらに、人一倍自己犠牲にしておきながら、自分はもっと不幸になっていくんですから、ほんと自己犠牲ってアホのすることだよって言う感じです。
でも、究極の自己犠牲はアルマゲドンですよね
ですが、アルマゲドンでもあったじゃないですか、最後のシーンで、自分だけが隕石に残り、他のみんなを脱出させてから隕石を爆発させるシーン。
あれこそ自己犠牲の精神です。
素晴らしくて感動して泣くし、鳥肌が立つと思います。
そんな選択肢なんて、日常で生きていてなかなかないので、やっぱり生きていて、自己犠牲の精神のせいで損することっていうのは避けたほうがいいと思います。
日本人の自己犠牲の精神っていうのはプロの証だと思いますよね
話は変わり、自己犠牲の精神っていうのは、人に何かを教えてあげるというのはプロの証でもあるんじゃないかと思いますね。
私なんか、年収300万円で医療事務をしているわけですが、受付も会計も医療費の計算も、入院費の徴収に、介護費の徴収なども行いながら、
高齢者の最近の出来事や状態を聞き、さらには、たまに来院する「こんな状態だがどうすればいいの?」っていう人も対応するわけです。
毎日の雑務で苦しいんですが、そこは自己犠牲の精神ですよ。
毎日の雑務をこなしつつ、患者の対応をするんです。
なぜならば、来院する患者より私の方が、その患者の状態をよくする手段を圧倒的に多く持っているから。
院内には医者もいる、周辺の病院の対応科や、受け入れ救急病院も知っている。
あなたの症状はどの医者にかかれば一番いい医療を受けることができるのか提案できるわけです。
患者の対応をすると、自分の仕事をする時間がなくなるわけです。
誰も手伝ってはくれません。
私の結論としてはやはり、プロだからその分野に対してだけは自己犠牲の精神を貫くということです。
ほかの事で自己犠牲することは極論避けます。
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